全州旅行記

韓国紀行11(13):12月30日、おわりに(by 旅人のくまさんさん)

全州
<2003年12月30日(火)>

<宗廟(チョンミョ)> 
 今朝、朝食に出かける前に確認しましたが、チェックアウトは12時でよいとのことでしたから、荷物をホテルを置いたまま、宗廟見学に出かけました。一昨日、昌徳宮を訪れた時に立ち寄る積りでしたが、開門時間を過ぎていました。昌徳宮の南に隣接した一角です。周りはぐるりと高い塀で囲まれています。
 ホテルからは地下鉄で宗廟に向かいました。鐘路3街が最寄駅なので、ミョンドンの1つ東の駅、チュンムロ(忠武路)で3号線から4号線に乗り換えました。
 駅構内での乗り換えには、かなりの距離を歩きました。途中、駅構内であることを忘れて、商店街でも歩いているような錯覚を覚えました。目指した鐘路3街駅は、チュンムロからは2つ目の至近距離です。鐘路が「チョンノ」、3を意味する「サム」らしい発音は車内で聞き取れました。
 駅は宗廟の西南に位置していて、商店街のような所を斜めに横切って直ぐに南門にたどり着きました。ところが、残念ながら閉館日に当たっていました。月曜日閉館の博物館、美術館などは想像が付き間すが、火曜日が閉館とは想定外でした。宗廟は世界文化遺産に指定されていますので、少しばかり残念でした。塀の外から何枚かの写真を撮って、諦めることにしました。
 ほかに向かう予定の場所もなかったので、暫くは南に隣接した公園内を散策しました。地図には「宗廟市民広場」とありました。月南先生の銅像が、宗廟を背にして正面に聳えています。レリーフや漢詩も石碑に刻まれています。韓国では大切な人のようですが、残念ながら、まだその謂れを調べていません。レリーフに万歳をする多くの民衆が刻まれていますので、万歳(マンセー)運動の指導者だったのかも知れません。「地球の歩き方」でも調べてみましたが、記載されていませんでした。
 帰りは別の道を通って地下鉄まで戻りました。狭い露地には宝石、装飾品、時計などを扱う店舗がずらりと並んでいました。どの店も、高級品を扱う老舗と言った趣で、まさか裏通りにこんな商店街があるとは、思いもよりませんでした。
 宗廟について、ガイドブックから引用しながら少し説明しておきます。祀られているのは李氏朝鮮歴代国王と、その妃の位牌です。李朝時代から儒教の大きな祭礼が行われ、現在も5月の第一日曜日に全国の李氏の末裔が集まって、伝統衣装に身を包んだ例大祭が厳かに執り行われているといいます。世界文化遺産に登録されている所以でしょう。

<帰国> 
 ミョンドンの地下鉄を出る時、その横に小さな珈琲ショップがありました。珈琲がメインではなく、若い人向けの軽食を売っている店のようでした。テーブル席が、地下鉄構内部分にはみ出して置いてありました。時間がありましたので、その小さな店でストレートの珈琲を頼みました。値段は日本の珈琲と同じくらいでした。インスタントではなく、ちゃんと豆から淹れたものでした。いい香りでした。久し振りに珈琲を飲んだ気分になりました
 KALの便は、日本を出発が午前中で、韓国を出発する時は夕方なので、有効に時間を使えます。昼直前にホテルに戻り、忘れ物がないか、念を押してホテルを後にしました。ホテル設備がよくなかったことは残念でしたが、メイドさんのせいではないので、今日も枕銭を千ウォン置いてきました。毎朝出かけるときに、挨拶を交わしていた中年の女性の方が7階の係りでした。チェックアウトの時、追加料金はありませんでした。
 昼は、この日ためにとっておいた全州屋さんの石焼ビビンバです。時間も丁度よい頃になりました。リュックを背負っていても、ホテルからは近い距離なので、歩いて出かけました。いつものお坊さんが路地の前に立っていて、人通りも多くなっていました。幸い混み合う少し前だったようで、直ぐに入口近くの席に座れた。メニューも見ずに石焼ビビンバとセンメッチュ(生麦酒)を頼みました。特製のタレが使われているらしく、期待した通り、この店のビビンバは美味でした。
 食事の後は、少し時間が早かったものの、インチョン国際空港へ向かうことにしました。そのために先ず、ソウル駅に向かいました。ミョンドンからは歩いて行ける距離なので、途中、地下商店街やソウルの街並を見学しながら駅へ向かいました。
 年末といっても、韓国では普段どおりの駅前風景でした。地下鉄でソウル駅に付いた後、真っ先にインチョン空港行きのバス停を探しました。直ぐに見付かりましたので、20分ほど、暇潰しに路上でのジャズ演奏を聴きながら、ソウルでの2003年の年末のひと時を過ごしました。


<あとがき>
 一人旅行は幾度かしたものの、初めから終りまで、一人だけの韓国旅行は、実は初めてでした。旅行仲間のMuさんと一緒の事が多かったことと、それ以外では、私が旅行の案内役を引き受けたこともあったためです。
 今回の旅行は、今までの経験をベースに無理のない旅程で、のんびり旅行をすることに主眼を置きました。Muさんとの旅行は、ツアーには組まれていない、普段は行くことができない場所を巡る旅の楽しみに残しておく意味合いもあります。思い起こせば、Muさんとは実に様々な地方を訪ね歩きました。
 そんな旅行を含めて今回の韓国旅行記が11冊目となりました。もう1冊で干支の一回り12冊の韓国紀行セットとなります。予定通りに進めば、その時期は今年のゴールデンウィークとなる計画です。

【旅行時期】2003/12/27~2003/12/30
【エリア】ソウル
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】旅人のくまさん

韓国紀行11(4):12月28日(1)(by 旅人のくまさんさん)

全州
<2003年12月28日(日)>
 
<ホテル近くでの朝食>
 昨晩、南大門から戻る途中で、屋台で銀杏と栗を焼いていたので、つまみ用に買って帰りました。屋台の酒で結構いい気分になりましたが、昨晩はこのツマミで仕上げとなりました。
 今日からは早起きをしてソウル市内とその近郊の見物開始です。最後に飲んだオールドパーの水割りが丁度良かったのか、ぐっすりと熟睡できました。7時前には気持ちよく起床できました。カーテンの隙間から外を覗きましたら、まだ薄暗さは残っていたものの、上々の天候でした。
 朝食は、昨日の内に見当をつけておいた店にしました。地下鉄の4番で入口のすぐ前の店です。50人以上は座れそうな大きな店です。この店にしたのは、ハングルで「スンドゥプチゲ」とガラスにメニューが書いてあったためです。朝はこの料理と決め込んでいます。
 大きな店だけあって、店内は清潔でスタッフも大勢でした。厨房だけで5人以上は働いていました。この店のスンドゥプはボリュームもあり、合格点でした。アサリも入っていて、下味が美味しかった。メインのトーフも美味でした。キムチは5、6品が仕切りのついた皿で運ばれてきました。このキムチは、この後、毎日品代わりをされていました。
 店員さんの中には、大阪に住んでいたことがあるという女性の方もいて、2日目からは、日本語での挨拶も交わしました。

<東大門(トンデムン)> 
 東大門市場(トンデムンシジャン)は、南大門を凌ぐ繁華街と書かれたパンフレットがありました。若い人好みの新しいデパートが立ち並んでいるからです。しかし、南大門市場の店の数には敵わないようです。朝早く訪れましたので、人通りも少なく、屋台の店も疎らでした。車だけは多く行き交っていました。
 シンボルの東大門は、南大門と同じように、都会の中に取り残された歴史建築物です。今は、その付近で道路改築工事が真っ盛りでした。その工事現場で、鋳鉄製の重たいマンホールの蓋をリヤカーで運んでいた人がいました。なんとなくアンバランスで、面白くもありましたので、少し離れたところからカメラに収めました。
 1本裏道に入ると、小さな店が軒を並べて古い町並みを形成していました。朝の早い時間なので、人通りはほとんどなかったものの、夜には結構賑わいそうな雰囲気でした。生簀がある店先の写真も撮りましたが、枚数の関係で掲載は省略しました。韓国北東、束草(ソクチョ)の南の港町、大浦(テポ)で食べた活きのいい魚とは、少しばかり違っていました。プサンのチャガルチ市場の方が、魚料理では遥かによさそうでした。それで、夜にこちらへ足を運ぶことはしませんでした。

<景福宮(キョンボックン)見学>
 地図で調べましたら朝鮮時代の王宮、景福宮までは、歩いてもたいした距離ではないようでした。しかし、70円弱の安い料金ですし、いろんな路線に乗ってみたかったので、地下鉄で移動しました。
 最寄の地下鉄駅は景福宮と同じ名前でした。駅構内は広く、あたかも展示場のようなレイアウトでした。韓国各地の植物写真が延々と飾られていました。草花からシダ類など、花だけでなく、その実などの写真や図が豊富に展示されていました。つい、50枚程の写真を撮りましたが、これも紙面の都合で割愛しました。後でゆっくりと整理したいと思っています。残念なのは、駅構内の蛍光灯や、照明のライトが映りこんだり、反射して綺麗には撮れなかった事です。
 この博物館で一番見たかったのは、付録にも収めた「半伽思惟像」です。まさに国宝中の国宝と言った逸品です。その対の像が日本にもあります。というより、元々韓国にあった1体が、日本に渡ってきたもののようです。
 焼き物も見応えがあり、高麗青磁、李朝白磁が国宝を含めて充実しています。土産物店で売っている青磁や白磁のモデルとなっている、その本物がここに多数展示されています。売店で絵葉書を買い求め、その中から付録として写真を収録しておきました。時代を経て落ち着いた色合い、優美な曲線、精巧な作り等、本物の味はまた格別です。
 白磁と言えばいつも思い出すのが、作家の立原正秋のことです。その作品の中で別格の扱いをされていました。後で出版された回想録には、故人が愛したと思われる少しいびつな白磁の壷の写真がありました。韓国の北東部の出身であるだけに、韓の文物に対する思いは格別のものがあったようです。
 氏は日本中世の美の再発見者であると、個人的には思っています。安宅コレクションの目利きの一人であったことや、加藤藤九郎さんの作品に「紫匂(むらさきにおひ)」の銘を付けられたエピソードも思い出されました。白地に薄いピンクが入った茶碗であり、実物を二度目にしたことがあります。

<国立中央博物館>
 景福宮に向かって右手の建物が新しく出来た国立博物館です。以前は赤レンガ造りの朝鮮総督府の建物利用の古い博物館でした。日本帝国の占領時代の悪夢を降り払おうと、歴史的建造物は完全に壊されて、その跡地に今の近代的は国立中央博物館が出現しました。
 古い建物の時にも見学しましたし、取り壊しの最中にも訪れたことがあります。ほとんど同じ外観イメージの台湾総督府後も訪れたことがありますので、いささか感じるところもありました。新しくなってから中を見学したのは、今回が初めてではありません。しかし、ゆっくりとマイペースで見学出来る一人旅なので、時間を掛けて見学することにしました。
 先史時代から古墳時代、三国時代を経て現代まで、ゆったりとした展示スペースに展示されています。ミニチュア模型や、実物大の模型もあり、小さいお子さんたちの社会学コースにもなっています。この辺りの設定は、各国共通のものがあるようです。
 展示の中で強く意識させられたのが、韓国の地域に対するこだわりと言ったものです。日本の教科書でもよく出てくる三国時代の高句麗(コグリョ)、百済(ペクチェ)、新羅(シィルラ)、あるいは朝鮮時代、高麗時代と言ったその後の時代、地域区分です。
 ところが、最近では任那府は日本の一部と同じ国家を形成していなかったとか、高句麗は中国の地方政府であったとかの中国側の主張に、韓国側が反論したりと、まだまだ議論、研究が尽きない分野のようです。これらは、自分としても将来の勉強の対象にとっておきたい楽しみの一つです。万葉集の初期の作品群は、古代朝鮮時代とは、切り離せない部分があります。
 日本人のご年配のカップルに、達者な日本語で案内されるボランティアの方の話に耳を傾けたりして回りました。見学を終えた時は、昼の時間を少し回っていました。日曜日なので、子供さん達の団体がいなかったことが幸いしたのか、場内は静かで、心おきなく見学を楽しむことが出来ました。

<昌徳宮(チャンドックン)の衛兵交代>
 景福宮から昌徳宮までは、少し距離がありましたが、東方向に歩いて移動しました。坂を下りきったところに、昌徳宮の西の端が見えてきましたので、昼食の店を探すことにしました。昌徳宮の来訪者用の飲食店街と言ったところでした。
 韓国料理の店と中国料理の店が並んでいましたので、少しばかり趣を変えて、中華料理の店のほうに入りました。新しい造りの店でした。メニューを見せて貰い、「麺」と「海鮮などの具がたくさん」と言った文字を探し、それなり料金のメニューを指差して注文しました。出てきた料理は、予想通り、海鮮物と野菜がたっぷり入った「五目ラーメン」といった大盛どんぶりでした。
 メモをした訳ではありませんが、今その材料を思い出してみますと、魚介類が烏賊(いか)、蝦(えび)、海月(くらげ)ともう2種類くらい、野菜も白菜、葱(ねぎ)、人参、香菜等が10種類は入っていました。
 殊に、何種類かの香菜が、風味豊かでした。珍しい形のものもあり、はじめて食べたものがありました。〆て、日本円換算で750円程度でした。大いに満腹しました。味付けも良かったし、キムチと浅漬けのタクアンもちゃんと付いていました。
 昌徳宮のことを書く前に、前置きが長くなり過ぎたようです。ここで本題に入ります。
 そのお店から少し下ったところに広い駐車場があり、出入り口も付いていました。しかし、そこから入場しようとしたら、止められ、正面入口に向かうよう誘導されました。出口専用でした。
 南側の正面入口に向かうと、丁度衛兵交代の儀式が始まるところでした。門の前に交代の衛兵が整列し、儀式を執り行うための文官と思しき姿も見えました。説明役の女性二人が、向かって左手にの位置でマイクを持って準備していました。
 衛兵交代は、この女性二人のアナウンスで段取りごとに説明されました。英語、中国語、日本語と韓国語です。2ヶ国語づつアナウンスを受け持っていました。今日は圧倒的に日本人客が多かったようです。
 儀式を簡単に紹介します。任務を終わったあとの衛兵に対し、新しく任務につく一団が昌徳宮の責任者に身元確認され、それが間違いなく本物とわかると、鍵を渡して任務を入れ替わると言ったところです。儀式の大きな段落では、極彩色の大太鼓が打ち鳴らされました。いつの間にか、この儀式を取り巻く人波はかなりの数に膨れ上がっていました。
 イベントが終わった後は記念撮影タイムになりました。先程、衛兵交替儀式を終えて勤務に付いた人たちの横に立って、自由に写真が撮れました。最初は遠慮をしていた若い人達も、衛兵の横に立ってはVサインを出していました。
 入場の順番は、日本語圏の私達からでした。開門の前に日本語ガイドさんが入口のところに詰め、早く開門するように係員に促していました。結局、30秒とは違わないぎりぎりの時間でした。このガイドの中年の女性の方は、丁寧で格調高い日本語を話されました。敬語に時々不自然な表現がありましたが、全体としては、申し分のないガイド振りでした。

<昌徳宮見学>
 今回の旅行の一番メインとなる見学でした。何度か昌徳宮の前に訪れたり、衛兵交代儀式を見学したことはありましたが、ゆっくりと宮廷内を見学するのは今回が初めてでした。写真も一番多く撮り、説明書きも加えておきましたので、ここでは簡単にだけ紹介しておきます。
 日本語圏の入場は一番初めの組でした。門を潜って少し進んだ左手の境内全体を図示したボードがあり、この前で説明が始まりました。広い境内は北の山手に続いていて、全部歩いたのでは大変です。見学コースは中ほどからの折り返しです。奥の方は、自然保護のために立ち入り禁止区域もあります。
 大きな建物ごとにガイドさんは丁寧に説明してくれました。しかし、当方は、写真を撮るのに忙しく、ほとんど聞き漏らしてしまいました。少し覚えているのは、国会議事堂の機能を持った大きな建物の「仁政殿」、丈夫で長生きできると言う一枚岩の「永春門」、柱に漢詩の一行を書いた紙を貼った女官たちの住まい、色彩が乏しい下級官吏の長屋風の建物などでした。
 昌徳宮はかなりの建物が長く保存されていて、一角には生活の匂いがするような建物もありました。高床になった部分にはオンドルの設備が完備していて、寒いソウルの冬を越すための備えも万全だったようです。大きな建物の中には、再建されたような新しさがありましたが、余り目立たない建物などは、昔のままの面影を今に伝えてくれているようでした。
 折り返しの池の辺で短い休憩を取りました。その池には一面氷が張っていました。日陰にも雪を全く見なかったのは、元々雪が少ないのか、今年の韓国が暖冬のためなのかは、見当の付けようがありませんでした。
 日本語圏(といっても1国だけ)の一団は、中々マナーが良く、ガイドさんの案内に従って、時間通り見学を終えました。出口でガイドさんの挨拶があり、全員でお礼の拍手をして解散しました。入場を制止された出口専用の門の前でした。

<ケジャン、アワビの夕食>
 昨日は南大門市場の中で夕食、晩酌をしましたので、今日はホテルに近いミョンドンで店を探しました。
 夜市見学を兼ねて、南大門から始めて、ミョンドンも散々捜し歩きました。偶然にお坊さんの格好をした石焼ビビンバの店、全州屋さんの前も通りましたが、こちらは最終日の昼食用に残しておきました。意外と泊ったホテルに近い位置にありました。
 本通ではなく、なるべく裏道を探し歩きました。混みすぎてもいけませんし、全く客のいない店も、ぼられないかと心配です。不味い店だから空いているのなら最悪です。
 大分捜し歩いた末に探した店は、坂道を一旦登って、別の道から下る途中の左手にありました。店先のメニュー写真にケジャンがありましたので、つい、その写真に見入りましたら、年配の店のママが日本語で話し掛けてきました。歩き草臥れてきましたし、少々高くてもケジャンが注文できれば、それでよしとしました。
 小さな店で、先客は若いカップルの一組だけでした。厨房には4人ほどいましたが、男性1人のほかは、働き盛りの女性達でした。
 店のママに最初にケジャンを確認しましたら、注文OKでした。ついでに鮑料理も頼みました。ざっと10万ウォン、1万円位を上限に他の料理も頼みました。魚貝類が新鮮なようでしたから、今日は少し贅沢をしようと、最初から考えた上でのことでした。飲み物は生麦酒、その後は焼酎と言った、いつものパターンです。
 ケジャンは大皿に山盛り出てきました。もう、これだけでも満足です。麦酒によし、焼酎にまたよしです。鮮度も良く、渡り蟹の大きさも十分でした。これだけでも5千円請求されても納得できる料理でした。
 ケジャンを食べ終えないうちに次に出てきたのが、鮑の炒め料理です。店先に置いてあった中くらいの大きさの貝が2つ使われて、野菜もたっぷりでした。これまたボリュームたっぷりでした。そのうちに何組かの来客がありました。少し贅沢な私のテーブルに、時々視線が向けられました。
 キムチとスープはサービスでたっぷりと出されました。他の席にも出されていますので、こちらは料金外です。生蛸も刺身で頼みました。ケジャンを熱いご飯で食べてみたかったので、白ご飯を頼みました。直ぐに保温ケースから、アツアツを出してくれました。韓国の方は、少し食事をしてからお酒を楽しむ習慣のようで、私もこの風習に習いました。悪酔い防止には最高です。
 ゆっくり晩酌と夕食を楽しんで勘定を頼みました。少しばかり料理を取り過ぎましたので、ひょっとしたら1万円を越えるかと思いましたら、8万ウォン、8千円程度でした。お釣の中から小銭を渡したら、ママが随分と喜んで、「日本のテレビ会社から何度も取材を受けました」との宣伝書きが入った名刺を渡してくれました。


  景福宮で
 腰掛て韓の都の冬を知る

 石山の白さよ韓の冬厳し

 松籟に古偲ぶ冬紀行

 彩色の冬日にきりり新普請

  昌徳宮で
 坂下る時に手に見し冬芽哉

 温突の塔傾ぬ旅半ば

 棲む人の無きや故宮の白障子

 見返れば甍を背中に冬紅葉

【旅行時期】2003/12/27~2003/12/30
【エリア】ソウル
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】旅人のくまさん

韓国紀行11(2):12月27日(1)(by 旅人のくまさんさん)

全州
<2003年12月27日(土)>

<名古屋出発> 
 2003年の仕事納めに日である昨晩は、会社の忘年会でした。それでかなり飲んでしまいましたが、2次会はご遠慮しましたので、翌朝は5時に起床できました。いつも目覚まし時計が鳴る時間なので、寝不足にもなりませんでした。  
 地下鉄は、西春までの直通電車ではありませんでしたから、上小田井で乗り換えました。急行も停まるので、すぐに乗り換えができ、1駅先の西春駅に到着しました。予想通り、空港行のバスが時間待ちしていました。そのバスは少し待っただけなのに、すぐに満員となりました。次の電車が到着したのでしょう。
 空港カウンターは結構混み合っていました。それで、HI*のサービスカウンターでは、時間はたっぷりあったものの、「今日は混み合っていますので、すぐに出国審査の列に並んでください」と促されました。確かに待ち行列は、10ターン以上折り返していて、結局 30分以上かかって出国審査を終えました。
 赤外線カメラによるサーズ検査は実施されていませんでしたが、手荷物検査は、このところの国際不安、テロ警戒のためか、混み合っていても厳重に実施されていました。
 出国審査に時間がかかったものの、まだ十分に時間がありましたので、軽く腹拵えしておくことにしました。9時半のフライト予定なので、軽食が出るのは間違いがありませんので、小さな助六寿司を頼みました。水代わりに、泡付麦茶を飲みまし。銘柄はいつものスーパードライです。日本の銘麦茶は、暫らく飲み納めです。
 最初は、順調にアナウンス通りの搭乗でしたが、飛び立つのに少し時間がかかりました。子供を連れた女性の方が、大分遅れて搭乗してきたからです。空港が飛び立つのに都合のいい、ゴールデンタイムのラッシュアワーなので、大分順番を待たされたようです。
 その人は、子供さんは小さいのに、かなり年配の女性でした。全く悪びれた風は無く、周りから冷たい視線を浴びていました。いつものことながら、マナー違反の人が時間を狂わしてしまっているようです。ほとんどのケースが、航空会社や、管制の責任ではなく、客側の問題のようです。ハンドマイクや、トランシーバーを持って、乗り遅れの人を探して駆け回っている係員の方の苦労が思い遣られます。

<インチョン国際空港到着>
 いつもの通り、機体は日本海側に抜けると少し北へ方向を変えて、一路韓半島へと向かいました。大陸で発生した冬将軍が日本海を渡っていて、ずっとその上を飛行しました。それでも、飛び立った後は順調でした。遅れ時間も少しは取り戻せたようです。
 正確な位置関係ではありませんが、韓半島への到着は、釜山の北部、ソウルよりは南部の地点です。釜山が比較にならないほど、ソウル寄りの地点かもしれません。そのまま半島を越えて、韓江(ハンガン)を横切った後、西側の海に出ました。右へ旋回を始めた後は、暫らく韓江を右手に見ながら北へ向かいました。この地点まで飛んできますと、冬将軍のかけらも無く、好天に変わっていました。空港が近づくと大小の島が眼下に増えました。明らかに干潟と思える海の色も目の当たりに出来ました。機体の高度が一段と下がってきたためでもあります。
 心地よい着陸の後、誘導路をエプロンまで向かいました。さすがにアジアのハブ空港であり、かなりの時間がかかりました。確か1年半ぶりくらいのインチョン(仁川)国際空港への到着です。

<ソウル市内へ>
 すぐに入国審査に向かいましたが、人数の割には相当に時間がかかりました。やはり要注意人物に対する水際作戦などが展開されているように見受けました。しかし、預けた荷物が何も無い、リュック1つの軽装なので、その後の手続きはすぐに終えることが出来ました。
 空港内で3万円の両替をしましたが、結局、このお金だけで、4日間の旅行に間に合いました。円高の影響を受けて、手にしたウォンは32万以上ありました。
 両替をした後は、予想通り、日本語が達者なタクシーの運転手さんが近寄ってきましたが、簡単に振り切ることが出来ました。空港を出ると、その前がバス停留所になっていました。何回か経験したので戸惑うことはありません。
 おまけにソウル駅行きが目の前でしたから、すぐのそのバスに乗り込みました。切符は乗車前に買うことになっていますので、運転手さんに「ソウルヨク」と告げましたら、1万2千ウォンと教えてくれました。先ほどの両替の中から支払いました。少し割高のバスでしたが、座席はゆったりとしていました。

<ソウル駅へ>
 バスは、始発地点から空港ターミナルに沿って進むと、もう一度ターミナルの端で停車しました。広い空港なので、乗り場所が2箇所ありました。しかし、このバスは空いていて、このバスの乗車した人は、結局10人には達しませんでした。
 後でわかったことですが、途中ノンストップの高速バスなので、割高料金のために地元の人の乗客が少なかったようです。乗客の中にはヨーロッパ系と思われる若いカップルが1組いましたので、私を含めて、半分近くが外国人ということになりました。
 空港島から橋の部分を含めた取り付け道路部分が長く続き、その部分だけで30分は経過したようです。最初の内は埋め立て途中の白く干からびた箇所や、干潟を見ながら進み、市内へ入ってからは暫らくぶりのソウルの町並みを楽しみました。ソウル駅へは、丁度1時間余りで着きました。
 バスが止まった場所は、見覚えがある赤レンガのソウル駅の近くでした。しかし、その駅舎には横断幕がかかっていて、先月の内に新駅舎に引っ越したことが示してありました。その案内表示に従って進むと、新駅舎の近代的な建物が見えてきました。隣接する場所ですが、近寄って確かめるまでは判りませんでした。
 旧駅舎が東京駅や台湾総督府などと同じクラシックな赤レンガ造りであるのに対し、新駅舎は機能的で、開放的な近代建築そのものでした。
 丁度昼の時間になりましたので、その新駅舎の中を一通り巡った後で、スパゲティ専門店に入りました。出来立てビルの中の、出来立てのお店でした。その店は、ガラス張りの開放的な造りで、若い人好みの意匠になっていました。
 注文したスパゲティは、随分とボリュームがありました。ひょっとしたら二人前かも知れません。出された別の皿に取り分けて食べましたが、満腹になって、少しばかり残してしまいました。「センメッチュ(生ビール)」の写真がありましたので、ジョッキを頼みました。ナポリタンは新鮮な魚介類、きのこ類がたっぷり入って、味も申し分ありませんでした。予めメニューを見てからの注文なので、承知をした上ですが、料金はお値打ちとはいきませんでした。日本の料金と同じくらいです。しかし、ボリュームの点で、こちらが上を行っていました。

<泊ったホテル>
 食事を終わったあとは、まず、HI*で予約したホテルに向かうことにしました。最寄駅の明洞(ミョンドン)は、地下鉄で近い距離なので迷うことはありませんでした。しかし、地図に印を打たれたホテルを探すのに、ちょっとばかり苦労をしました。
 大きなホテルなら、上を向いて歩けばすぐに建物か看板が目に付くものです。しかし、何しろ「安い宿を探して」と言って予約したホテルなので、目印が見当たりませんでした。地図に記された位置から、地下鉄駅近くなの違いないのですが、中々探し当てることが出来ませんでした。暫らく、地下鉄の出口の辺りをグルッと散歩しました。
 探し当てたホテルは、安宿ですから、やはり相当の年月を経た建物でした。鍵を渡された7階の部屋は、少し迷路のような通路の奥まったところにありました。部屋の中には緊急脱出用のロープも備え付けてありましたので、少しばかり緊張しました。ついでに非常用出口を探しましたが、こちらは部屋の横にありましたので、ひとまずは安心しました。
 この日の夜に気がついたことですが、風呂と、お手洗いの具合が悪いのにはてこずりました。暫らく流しっぱなしにしても、温かいお湯は出てきませんし、お手洗いの水は一度流した後、タンクが空っぽになってしまいました。
 よっぽどフロントに行って部屋を変えて貰おうかと思いましたが、思い止まりました。実は、飛び込みで宿に着いた学生さんらしい女性二人組は空き部屋がなく、暫らく待たされていました。それで、ぎりぎりまで、こちらで努力してみることにしました。
 お手洗いは、上蓋を開けて、最初はお盆で水を注いで事なきを得ました。しかしタンクの中を仔細に観察しましたら、給水用の細いビニルパイプが溢水筒の中にセットしてあり、これの位置を変えてみましたら、完全に問題解決しました。お風呂の方のお湯も、根気良く待つことで、こちらも一応解決しました。

<明洞>
 ホテルに荷物を置いて身軽になったところで、市内見物に出かけることにしました。設備の問題はあったものの、ホテルの立地条件は良く、ミョンドンの4番出入口までは、歩いて2、3分の距離でした。そんな近い距離にありながら、中々見つからなかったのは、古いビルで目立たなかったためです。
 最初はホテルの北側の通りに行ってみる事にしました。交通頻繁な道路なので、一度地下街に潜って、その道路を渡りました。その場所は既にミョンドンの繁華街の東の端っこになっていて、混雑が始まっていました。人波は、若い人たちが大部分でした。何度か来たことがあり、少し見覚えのある街角もありました。
 ミョンドンはナンデムン(南大門)と比べますと、ファッションの洒落た店が多いことで、若い人に人気のようです。しかし、飲食店も結構軒を並べています。こちらの方も若い人には(若くなくても)必須の店です。今回も一度は訪れる予定の全州屋さんもこの一角にあります。お坊さんの格好をした宣伝マンと石焼ビビンバで観光名所になっている、日本人客に馴染みの店です。

<南大門、南大門市場>
 ミョンドン散策に別れを告げて、次は南大門に向かうことにしました。こちらも少し時間はかかるものの、歩いて行ける距離にあります。大体の見当を付けて、その方角に歩きました。多少回り道になったかも知れませんが、南大門にも無事に到着しました。最初は南大門そのものを訪ねることにしました。市場の方はその次です。というより、南大門が入口の1つになっています。
 南大門に着いた時は、少し日が傾いていたものの、落日には少し間がある時間でした。日が落ちない内に、その懐かしい門を何枚かカメラに収めました。この場所に来ますと、いつものことながら、韓国のパワーが貰えるような気分になります。
 夕暮れは、あっという間にやってきました。市場のお店も順番に数を増して、人通りも増えてきました。念のために、懐中の物に気を付けながら、混み合い始めた人波を縫って市場散策を始めました。特別に買い物をしたいわけではなく、雰囲気を楽しみ、パワーを手に入れるためです。この時間帯では、四輪車や単車が狭い道まで入り込んできますので、そちらの方も要注意です。
 ぐるぐる回っている内に、同じような場所を何回か通ったような気がするものの、細い路地までは中々覚えきれません。時々声を掛けられながら、路地を中心に歩きました。どうして見当がつくのか知りませんが、必ず声を掛けてくる一角があります。前にも同じ経験をしましたが、革製品などの高級品を扱っている店のお兄さん達です。
 晩酌のお店は、南大門市場の中で探すこととして、買い物ではなく、こちらの方に気を配って歩きました。結局は、南大門に近い入口近くの屋台、ポジャマチャに入ることに決めました。新鮮そうな魚貝類が多く店先に並べられていたことと、若い人を含めて、既に何組かが食事をされていたからです。
 中々愛想のいい店でしたが、大アサリを「ハマグリ、ハマグリ」と言って調理してくれましたので、少し割高でした。しかし、ビールと焼酎を飲んで、三品ほど料理を頼んだものの、予想した許容範囲内の料金でした。


  機内で
 新しき手帳に綴る暮の旅

 遣り残すこと多かりし暦絶つ

 年瀬の世事振り捨てて韓紀行

 迎え酒飲みつつ越ゆる冬の海

 冬将軍眼下に西へ空の旅

 ジャンボ機の翼眩き小春の陽

 小春日に暫しまどろむ機の窓辺

 小春の陽機内に深く射す旅路

  南大門で
 ポジャマチャの内から眺め町暮るる

 地の人になりし心地や屋台酒

 出来立てを湯気ごと食す屋台内

  投宿したホテルで
 屋台酒酔い覚めぬ間に宿の酒

【旅行時期】2003/12/27~2003/12/30
【エリア】ソウル
【テーマ】世界遺産・遺跡・秘境
【投稿者】旅人のくまさん

一人韓国Part3 全州ビビンバとプサンデビュー★編集中(by Erinaさん)

全州
またまた年末年始行ってしまった。。
憧れの「ビビンバ発祥の地:全州」のビビンバ、
KTX乗りたくて光州もフラリ。
そして日帰りプサンへ!

【旅行時期】2006/12/30~2007/01/05
【エリア】全州
【テーマ】ひとり旅
【投稿者】Erina

世宗に挨拶(by mamamaさん)

全州
日程の関係で、今回1番メーンの全州は、あわただしくも日帰り。
ソウル高速バスターミナルからバスで2時間半。宿泊のJWマリオットに隣接されているだけにアクセスは、ばっちり。
普通座席と優等座席があるというから、優等座席をチョイス。
16000wという嬉しい価格。
天気は雨。車窓の景色がかわるうち晴れ間がみえてきた。
しかし休憩所では、降ってきた。
すさまじいスピードでひた走るバス。
全州バスターミナルでは、やんでいた。
案内所にはいり、男前の職員に案内書をいただき、全州韓屋村の歩き方を教えていただいた。
拙いハングルを理解してゆっくりとした発音で対応してくださる親切さ。バスなら、5,6分というので、それなら隣接しているタクシーで行きますと言ったら、ご自分の名刺をとりだし”値切りなさい”といわれた。3000wにしてくださるとのことだった。
案の定、そのとおりに交渉成立。しかしまた雨がふりだした。運転手さんがいうには、昨日から降っているという。
いろいろ話しかけてくる。いやはや会話力には、限度があるから、話題をかえて初代のイスーマンから、現在のイミョンバクまで大統領の名前を言い合いながら、現地まで場をもたせた。全州韓屋村の案内所にも日本語のできるスタッフはいない。
これでまたハングルで苦戦。
ざっと回り方を聞き、まずは慶其殿から、回り始める。
傘を差し、パンフと辞書を手に、眼鏡をチェーンで首にかけるというこっけいなしぐさ。
朝鮮王朝の肖像画が安置されている真殿は、600年の歳月の流れにも原型をとどめ、当時のマイカーなる籠なども丁重に保管されていた。ハングル文字の創始者である世宗の肖像画の前でまず안녕하세요と御挨拶。
伝統文化センター、工芸展示館、梧木台、を経て韓屋村をまわり、昼は全州韓食の店でビビンパをいただいた。
皿数の多いのに、友人はただただ圧倒。
だいぶ雨にうたれたため、オンドルの暖かさがみにしみた。
それにしても、風光明媚をうたい文句にする
全州のよさは、傘を差してでも歩いて実感できるものと
つくづく感じられました。


【旅行時期】2008/03/22~2008/03/24
【エリア】全州
【テーマ】歴史・文化・芸術
【投稿者】mamama

全州画像


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